大学受験からだけの視点で見てはいけないのでは・・と思う
文春オンラインの
おおたとしまささんの記事
元ネタとなった
の二つの記事がありましたが・・・
基本的にはおおたにとしまささん派であります。
というか、ドラゴン桜の方の勘違いが甚だしいような気がします。
ピアジュの名前をだして煙に巻こうとしている印象です。
この記事を書いた方は一度でも”ピアジュ”の著書を読んだことがあるか、
そしてそこから派生した流れを知っているのか?
何より幼児教育を知らない・・・ような気がします。
大学受験の観点しかしらない人が陥りがちなパターンではないかと思うわけです。
観点が中学受験を主としている方は、やはり中間点にいるだけあると感じます。
どうでもいい閑話
適当に流しているプレイリストから「セーラー服を脱がさないで」が流れ、一気にシリアス度が減り、下書き行き。
復活しましました。
ドラゴン桜の記事は、私が嫌悪している幼児・小学生へ大学受験手法をそのまま取り入れた場合の弊害例を羅列されているような感じです。
現実としてそういった側面もあることは否定しません。
問題が色々混同されているのが、この記事の問題だと思います(ん?)
学ぶための手法が大学受験的である”四当五落”が未だにまかり通っています。
先日NHKで、某女子難関中学受験を通ってきた子へのインタビューでも夜中まで勉強してたことをアピールするような誘導がされている様子が映し出され、怒りを感じたものです。
しかし、出されている問題が発達を無視したものであると断じているのは違うと思います。小学校受験の問題をきちんと見たことがあるならば、発達を無視したなど書けないか、もしくは、発達を無視した学校のを見たとしか言えないと思います。
この二つを混ぜ合わせているのが問題の前提にあると思います。
また、小中受験が日常的である地域と、そうでない地域では当然環境も違うわけでその問題もあります。
さらに言えば、代々小学校は私学からでというご家庭が普通にいる環境から見ると、4代にわたって”不幸”と断じられるのは業腹・・と思わず、おそらくですが、”まぁそういう風に見えるのね~”で終わりのような気がします。
この辺りが教育の再生産が上手くいっている家庭の余裕だろうな・・とさらに想像するわけです。
大分広がりがあるテーマなので、この辺りで一旦打ち止めしておきますが、
常日頃から大学受験からの視点と小学校受験からの視点を混同するべきでは無いと思っている私からすると、やはりドラゴン桜からの視点は若干頓珍漢だと感じてしまうというお話でした。