自由について
シアンが低学年の頃、私が気に入っていた学校がありました。
当時出ていた学校関連の書籍は全て買い、その教育方針に賛同を覚えていました。
中学年になり、シアンの学校の文化祭を覗き色々と考えた末、その教育方法などは素晴らしいとは思いつつもシアンの性格を考え受験校から外しました。
その学校はとても自由と表現される学校でした。
自主性を重んじた自由というものでした。
文化祭で見かけた6年生の顔つきはとても精悍な生徒・・例えればストイックな体育会系大学生の顔つき・・とでも言えば良いのでしょうか、その雰囲気に感心した記憶があります。
が、同時に同じ6年生には、色気ダダ漏れ・・とでも例えれられるような、”ちょっとそれ小学生”に使っちゃう?という雰囲気の生徒もおりました^^;
確かに自立を促す教育である反面、家の子どもだったらどうなのだろう・・と考えると、危うい物を感じたのです。
シアンは絶対流される・・・・・・・
同じように表現されても、学校にはそれぞれ譲れない・・譲らないポリシーがある筈です。自分の考える”自由”が、学校が考える”自由”とは違う。
それが逆の”規律”であっても同じだと思います。
中々読みにくい部分もありますが、
学校が一番優先しているのは何なのか?それを聞いている内に、判る部分も出てくると感じています。