受かる子・受からない子だって
某所での記事に、塾講さんが小2で御三家や難関校に受かるか受からないか判ると見かけました。親御さんには判らないでしょうが・・的に書かれていますが、何とも形容しがたい気分になりました。
これ半分は判らなくもないけど、半分はケッって気分。
7・8歳での生活である程度読めるというのも多分正しいというか、私も判る所があります。
けど、子どもは変わるという点もある訳で・・・・・・・
受からない子が判る的に書かれていたけど、
私としては受かる要素を持っていたのに受からない子になった方が気になる訳です。
なにより、
子どもは変わる・・・・・・良い面でも悪い面でもです。
逆に親はなかなか変わらないです。
色々な紆余曲折があり、子どもに寄り添うようになって、状況が改善して・・という事があっても、最後の最後で”親の志望校”を押し通す(親は押し通したとは思わない)という事例は多くあります。
以前、相談の最中に出した話。
低学年から優秀とされていたけど結果が伴わなかった子で、すでに小2の段階で予測ついた子が居た。
という話しをました。
(もちろん当時は確証も無かったし、出来れば間違っていて欲しいと思っていました。)
どこで判りました?の質問に対しての答えは
「親の姿勢」
でした。
別段、中学受験も親の受験なんて事を言うつもりはありません。
でも、12歳は、いくら大人びていても子どもです。
親との距離が各家庭違います。
自立しているのが良い場合が多いですが、自立した振りを盾に別の方向へ行く子もいます。
親とべったりは・・と言われても、親が側に居れば勉強するという子もいます。
やはり親の介入は大きなファクターだと感じます。
中学受験では、子どもが大人であることを要求されます。
しかしそうは言っても十人十色、成長も様々・性格も様々と思う私がおります。
言ってはなんですが、塾講さんは関係者でもあり、部外者でもあるんです。
当事者が気づかない点を指摘できる立場でもあり、当事者でもある。
なにより、個々に出来るアドバイスの限界値を持っているのが塾講さんという立場だと思います。べったりと関わってしまう愚を回避するためにも必要な事だと推察します。
なのでやっぱり塾講さんのいう事は、大局的な意見だな~~~と思うのが吉・・という思いを新たにしたものです。