私の教育指針における重要事項 1
なにやらたいそうな題名ですが・・
人とやり方が違う。
王道に懐疑的
ってどこで形成されたのだろうか?
と自ら考える事がありまして・・
元々、
人がやっていない視点から事業を成功させた父が居たとか
”人の行く裏に道あり花の山”という株格言が母との会話に出てくる
なんての家庭環境だったというのがあります。
ただ・・もっと大きな影響を思い出した次第です
あれだ・・・間違いなくあれです
聖子ちゃんカット!!
小学校高学年で流行、中学時代はほぼ全員この髪型
下手すると高校時代まで基本はこの髪型
この髪型以外は超レアで、同調圧力は相当なものだったと記憶しています。
しかし私・・・・この髪型出来なかったのです
生え際につむじがあり前髪降ろすの無理だと美容師さんに宣言されておりました
年齢が上でお金が自由に使えれば、パーマという手もあったのでしょうけどね
自らのアイデンティティで別の髪型をしているわけではないというのも大きかったのかもしれません。
自分ではどうにならない環境下にいると、別に同じやり方じゃなくても良いじゃないかという反抗心も生まれていた記憶があります。
さらに・・・
時が経ち・・・
世はバルブ
私の時代が来ました!!
トサカヘア
私あれ苦労無く出来ました。
夜カーラーを巻いて寝て”軽く”スプレーすれば一日持ちました
皆から羨ましがられましたが、同時に思春期前髪が下せないというので苦労した身からすると、かなり苦々しい気持ちになったのも事実です。
自分ではどうしようもできない所が、
時代が変わっただけでデメリットがメリットになる
周りに合わせる事が非常に意味がない事と二十歳にして思ったわけです
自分にあった事をすれば良い 。無理はしないが私の中のスタンダードとなりました。
流行と勉強法は違うと言われそうですが、
勉強法の方が質悪い面もあります。
流行はすたれますが、勉強法は中々変わらない
新しい科学的なやり方が証明されても、根性論が蔓延ったままなのが証拠
元々、根性論が好きな人が一杯いるんですよ。
なのでその成功者も多い。でもね同時に失敗者もそれだけ多いんです。
別の方向で怒りそうになったので、この辺で一回切ります。
ようは
”みんなちがって、みんないい”
を指針としているだけです。